風間直得

風間直得(かざま なおえ)

本名・山本直得
別号・南鳳江
1897年(明治30年)7月7日 – 没年不詳

ルビ俳句を提唱したことで知られている人物であるが、その後、俳句界より消え去り、没年も知られていない。
二十歳の頃、新傾向俳句運動を展開していた河東碧梧桐の門人となり、新傾向俳句、自由律俳句を詠むようになる。
碧梧桐や中塚一碧楼がいた海紅に属していたが、海紅の編集部が一碧楼の故郷である岡山県に移ったこともあり、1924年に海紅の東京同人たちと「東京俳三昧」を創設し、その代表となった。
1925年に「東京俳三昧」と「碧」が合わさり、「三昧」が作られ、直得は編集長となる。
この「碧」は「海紅」を一碧楼に任せて去った碧梧桐が自ら立ち上げた個人誌である。
この「三昧」において直得は俳句にルビを添える「ルビ俳句」というものを提唱し、積極的に句作を行うなど活動した。
碧梧桐もルビ俳句に共鳴し、句作を行っている。
このルビ俳句は漢字にルビをふると言うような単純なものではなく、例えば、「正月(ハル)」と言うように当て字を使って句の視覚的表現を高める技法である。
1932年には直得は碧梧桐に代わって三昧を主宰するようになるが、翌1933年、「紀元」と名称を変え、より発展を目指す。
だた、ルビ俳句運動への力の入れ過ぎに対する異論や直得の生活の貧窮から「紀元」は頓挫。
直得は新たに「白塔」を発刊するが、その後、失踪してしまった。
こうしたルビ俳句運動は結局のところ、当時の俳人に批判され、受け入れられることなく昭和の初めに運動としては消滅した。
直得自身の失踪、消滅と併せて考えると感慨深い。
だがルビ俳句自体は現在でも散見される一つの技法ではある。
句集として「直得六百句選」がある。

代表句
・裾ねゆき
靄月光

もやよかげ

とよべもまがうた
夜雪

よかげ

略歴

現在の東京都中央区日本橋にて出生。
洋画家でもあった。